「燃える氷」メタンハイドレートは本当に日本を変えるのか

明治大学 研究・知財戦略機構ガスハイドレート研究所代表・特任教授/松本 良

日本近海の海底下に眠る膨大なエネルギー資源――。メタンハイドレートのキャッチフレーズとしてよく聞く派手な言葉だが、いまだに実用化のめどが立ったという話は耳にしない。研究、開発はどこまで進んでいるのか。そして、そもそも日本のエネルギーの救世主となるものなのか。実用化の研究に最初期から関わる松本 良明治大学特任教授に現状を聞いた。

実際に使えるのは数十年後?

 

日本は「資源のない国」とよく言われる。特にエネルギー資源については、ほとんどが海外からの化石燃料の輸入に頼っているといっていいだろう。そんな中、近未来のエネルギーとして注目されているのがメタンハイドレートだ。

 

日本周辺の海底に膨大な埋蔵量があり、資源問題の救世主とうたわれることも多い。だが、その実像は意外と知られていない。どこまで実用化に近づいているのだろうか。

 

「資源としては有用なものではありますが、実際に使えるようになるまでは、まだ数十年はかかるでしょう」

 

現在、日本近海にあるとされるメタンハイドレートは、回収方法の試験や埋蔵量調査をしている段階だという。

 

「もともと私の専門は地質学と堆積学です。海底にたまった堆積物や隆起して地表に上がった地層などを分析し、地球の歴史を解明するという研究をしていました。その中で、海底で奇妙な現象を見つけたんです。その原因を突き詰めたことから、海底下にガスハイドレートが存在する可能性に気付いたんです」

 

ガスハイドレートとは、メタン、エタン、二酸化炭素などのガスと水が作る氷状の固体結晶。メタンを主成分としているために、日本では「メタンハイドレート」と呼ばれることが多い。1立方メートルのメタンハイドレートが分解すると、160立方メートルのメタンガスが発生する。そのガスを回収できれば、精製する必要のないエネルギー資源になるわけだ。

 

しかし、問題は存在する場所にある。太平洋側、南海トラフ(四国南方の海底にある深い溝)に砂層型(さそうがた)と呼ばれるメタンハイドレートが存在することが分かっている。それがあるのは、水深約1000mの海底面のさらに約300m下にある砂層。深海だけに採掘どころか探索にもかなりの困難がつきまとっているのだ。

 

 

海底のさらに下から採掘する方法

 

「国が主導して行ってきた南海トラフでの調査は、予備調査を含めてすでに20年以上続けてきているのですが、今も決着はついていないんです。資源として回収できるものなのか、また回収できるとしてもどのような方法で行えばいいのか」

 

まだ採掘手段が確立されていないどころか、資源として回収できるものなのかどうかも議論が続いているという。メタンハイドレートの実用化は、想像以上にハードルが高いようだ。

 

「砂層型は広い範囲に分布しているので量的には多いのですが、その分広範囲から集めてこなくちゃいけない。石油の場合は流体ですから、1カ所の櫓(やぐら)で圧を抜くと、自然に移動してきて集めることができる。言ってしまえばストロー1本刺せばいいわけです。ですが、ハイドレートは固体なので、そう簡単にはいかない。海底面下数百mの深度で、数kmの範囲に広がっているメタンハイドレートから、どのようにガスを集めるのかという大きな課題があります」

 

また、砂層型とは別に日本にはもう一つのメタンハイドレートがあるという。日本海側で2003年に石油・天然ガスを掘削する調査の中で発見された表層型メタンハイドレートだ。

 

「太平洋側のものと違い、砂層の中ではなく海底の直下から発見されて、塊状で出てくるんです。2004年以降の学術調査に続けて、2013~2015年の国のプロジェクトで日本海の調査可能な海域はほとんど全て網羅しました」

 

表層型は、水深1000m前後の海底直下から100mほどまでの間に、ほぼ連続的に塊のようになって存在しているという。それが現在までに分かっているだけでおよそ1700カ所。これなら南海トラフの砂層型メタンハイドレートより採掘はしやすそうに感じる。

 

「表層型は直径は数百m、厚さは100mくらいの円盤状に、最初から1カ所に集まっています。こちらの問題も、それをどう採るかですね。メタンハイドレートというのは水より比重が軽く、海底に出てくるとプカプカ浮いてくるので、おそらくは塊のままパイプの中を誘導するという形を取ることになると思います。海水中を浮上してくれば圧力が下がり、温度も上がって自然に分解するので、1000mものパイプの中を浮上させることもできる。それが、私が考えている基本的な採掘方法です」

 

今後は実際にこのプランを提案し、小さなプラントを造って実践する、という段階に入るという。国としては、これまで多額の投資を続けてきた手前、南海トラフでの開発を継続させなければいけないという事情もあるようだが、いずれにしても調査段階から試掘へ。実用前段階まで近づいているといえるかもしれない。

 

 

「燃える氷」は救世主となるか

 

  では、時期はともかく、シェールガスのようにゆくゆくは資源地図を塗り替えるような存在になるのだろうか。

 

「東日本大震災以降、国内の天然ガス使用量は2倍くらいになっています。メタンハイドレートは天然ガスですから、それを日本で採れればと期待できるかもしれない。でも、現実的には、天然ガスの役割の一部分をメタンハイドレートが果たす、というくらいでしょう」

 

松本特任教授が言うには、国内のメタンハイドレートの総量は、今の日本が一年に使っている天然ガスの数倍から10倍ほどしかないという。

 

「メタンハイドレートさえあれば日本のエネルギーは大丈夫だというのは幻想ですね。存在している資源の全てが回収できるわけじゃない。これを輸出できてなんていうのは、現実を知らない人だけです。そう言って一般の人を惑わせてはいけないでしょう。資源については間違ったことが平気で流されて、時にはそれが政策にまで影響してしまうということがあるので、関係者には科学的事実を正しく理解し、共有してほしいと思います」

 

 

「世界全体のエネルギー供給という視点から見れば、メタンハイドレートは次のエネルギーまでの一時的なつなぎ」と、見解を述べる松本特任教授

 

メタンハイドレートはエネルギー資源として期待できるが、開発しても日本がエネルギー大国になることはない、というのが研究者としての松本特任教授の見解だ。ある意味では、これまでもてはやされてきたメタンハイドレートの幻想を打ち砕くものといえるかもしれない。ただ、純粋に学術的な意味でも、メタンハイドレートにはまだまだ興味深い点はある。

 

「資源の面ばかりが注目されていますが、メタンハイドレートが地球環境にどういう影響を及ぼすのかを知りたいですね。それは地球温暖化であったり、あるいは行き過ぎた寒冷化を温暖な気候に戻すといった役割もあります。数億年の地球史をさかのぼると、メタンハイドレートによる極端な温暖化が大量絶滅を引き起こしたなんて例もあるんです」

 

これら長期的なものだけではなく、目の前の環境変動や海底生物、ひいては漁業・水産業を考えつつ、環境インパクトについて調査をしていきたいと松本特任教授は続ける。

 

「例えば、メタンハイドレートが分布する海底を観察すると、ベニズワイガニやほかの深海生物が多産する場合があり、メタンの湧出が深海底の生態系に積極的な影響を及ぼしている可能性も考えられます。実際に海底でどういうことが起こっているのか、ハイドレートはどうやってできているのか、支配している地質条件は何なのか。それを広く共有するために、環境への評価を目的とした調査を学術の立場でやりたいですね」

 

地球全体への視野を持ったメタンハイドレートの研究。それは、目の前のエネルギー問題に寄与するだけでなく、もっと大きな価値を生み出すものかもしれない。


 今回のトップランナー: 松本 良

 

まつもと・りょう●東京大学名誉教授、明治大学研究・知財戦略機構ガスハイドレート研究所代表・特任教授。東京大学理学部地学科卒、同大大学院理学系研究科地質学専攻修了。1995年、世界初の深海底ガスハイドレート掘削プロジェクト(ODP-Leg164) の共同主席研究者。2012年、明治大学にガスハイドレート研究所設立。現在はメタンハイドレートの地球環境と海底生態系へのインパクトや海底地盤変動を評価する学術研究を展開する。

 

自民党経済産業部会(松本2012)